2015年4月29日水曜日

最後のあいさつ

今学期から、このブログを書き始めました。実は、このブログは私の初めのブログで、最初は何を書くか全然わかりませんでした。そして、ブログを書くのは毎回2時間ぐらいかかって、辞書やとびらをたくさん使いました。でも今は、1時間ぐらいかかって、多く新しい単語も学びました。それから、ブログを書く時、たくさん調べることをして、この所についての歴史や有名人も勉強したので、とても楽しいです。

Googleのブログでコメントをやりにくいかもしれないで、クラスメートのコメントはほとんどないです。でも、お皿先生のコメントを見て、楽しかった。私も全部の所に行きたいです。


今学期が終わるから、このブログもここで終わりします。時間があれば、このブログを続きます。では、ありがとうございました!バイバイ!

2015年4月19日日曜日

天空の城

きれいな天空の城に住みたいですか。日本には天空の城が本当にあります。それは、竹田城(たけだじょう)という兵庫県にあった城です。竹田城は虎臥山の上にあて、雲海(うんかい=海のような低い雲、とても綺麗)が発生すると、まるで空に浮かんでいるようです。だから、天空の城や虎臥城を呼ばれています。そして、城と呼ばれたけど、残されたのは石垣(いしがき=石から作った壁)、堀(ほり=城の周りに掘られた川)や井戸(いど=水があるとても深い洞)などだけで、日本のマチュピチュとも呼ばれています。



1431年頃に、山名宗全(やまなそうぜん)という但馬国(昔の日本の国の一つ)の武将によって虎臥山の上に城を建てされました。200年ぐらいそこに立ちました。でも、最後の城主は関ヶ原の戦いに負けたから、城が壊されました。こんな大きい城がなくなって、とても惜しいです。



竹田城の雲海が見たいなら、秋のとても早い朝には一番いい時間です。でも、雲海が見なくても、きれいな風景や山の下にある山下町も見えます。昔は、城主と城主の家族だけ城に住めで、家臣は山下町に住みました。城に見たら、町の全て見えます。




日本には天空の城は一個しかなくじゃなくて、福井県の越前大野城(えちぜんおおのじょう)や岡山県の備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)も天空の城と呼ばれています。時間があったら、他の城もきれいな風景に見に行きたいです。

2015年4月15日水曜日

新選組の足跡を尋ねて!

日本の幕末(ばくまつ)のマンガやドラマがたくさん見て、新撰組(しんせんぐみ)のことが好きになりました。今度、新選組と関係がある所を探しましょう!


まず、新撰組になる前に、近藤勇(こんどういさみ)、土方歳三(ひじかたとしぞう)や沖田総司(おきたそうじ)など浪人達は住む場所ー八木邸(やぎてい)を紹介します。今、八木家族は鶴寿庵 (かくじゅあん)という和菓子店を営んでいます。でも、昔には、近藤勇など浪人達は京都に行った初めの住む所です。


八木邸で一番有名な事件は芹沢鴨(せりざわかも)が暗殺されたことです。あれは、1863年のある夜です。芹沢鴨はたくさんお酒を飲んで、早く寝てしまいました。あの時、近藤勇や土方歳三など数人は芹沢鴨の部屋に入って、芹沢鴨が暗殺されました。でも、その中の一人は芹沢鴨に剣を斬るとき、部屋の柱はとても低いから、その柱を斬りました。そして、その刀傷は今までも見えるそうです。私は、あの人はだれだと聞きたいですが、今でも歴史学者も知りません。また、あの時芹沢鴨の側に寝ている他の人も死んでしまいました。下の写真は芹沢鴨が死んだ部屋です。



八木邸の外に新撰組についての商品が売っていて、お茶と屯所餅という屯所餅を食べられます。でも、あまり美味しくないそうです。

2015年4月9日木曜日

四万温泉(下)

積善館に入ると、歴史が感じます。お客さんは木でできる階段で歩いたら、大きい声でバタバタします。これは、百年前に戻るのようになので、とても新鮮だと思います。積善館の部屋は伝統的な畳がある部屋で、真ん中に机があります。ここに休んでお茶を飲みながら、本を読むと幸せな感じだと思いませんが。



積善館で最も有名な温泉は四万温泉です。この温泉の特別な点は四万もの病を治癒してくれるのだと言われています。また、熱いで飲むと下痢症を治癒してくれる一方、冷たいで飲むと便秘症を治癒してくれます。



「元禄の湯」は積善館で最も古い温泉で、100年も歴史があります。あの時に残されたモダンなホール風の建てる方は見えます。普通の石でできなくて、大理石でできた大浴場です。これは、洋風と日本風の合わせる建物です。五つのお湯の温度は違って、お客さんは好きな温度のお湯を選んでゆっくり休みます。


本館から「山荘の湯」に行く道は千と千尋の神隠しの中のトンネルの元です。とても長くて、時間トンネルみたいですね。



杜の湯は露天風呂です。夏の頃緑の林が見え、秋の頃紅葉の林が見え、冬の頃真白いの林が見えます。とても綺麗だと思います。



宮崎駿はここに来て、こんなきれいな景色を見て、300年もの歴史を感じしながら、千と千尋の神隠しの内容を考えできるかもしれません。

2015年4月6日月曜日

四万温泉(上)

皆さんはもちろん宮崎駿(みやざきはやお)の「千と千尋の神隠し」(せんとちひろのかみかくし)を知っていますね。今度は「千と千尋の神隠し」の湯婆婆(ゆばーば)経営である「油屋」(あぶらや)を紹介します!この油屋の元は群馬県の四万温泉です。四万温泉は日本で最も古い温泉で、300年の歴史があります。そして、四万温泉がある積善館(せきぜんかん)は日本の登録有形文化財で、とてもすごいです。


四万温泉を紹介する前に、「メロディロード」を皆さんに知ってほしいです。四万温泉に入る前に国道353号線を車で運転して行くと、千と千尋の神隠しの主題歌「いつも何度でも」が聞こえます!この音は、車を一定のスピードで走らせると、タイヤと道路が摩擦して聞こえる音です。これは「メロディロード」のビデオで、ぜひ聞いてみてください!


四万温泉の外に温泉街という道があって、観光客はここに買い物をしたり、散歩したりします。油屋の外に似合ってと思いませんが。



油屋は、四万温泉がとても有名な積善館をイメージして描かれました。特に、油屋前の赤い橋がとても似合っています。黄色の光は暖かい感じで、この橋を越えると、神様の世界に入るみたいです。




次のブログは積善館に何があるか、何が有名か説明します。


2015年4月4日土曜日

慶應義塾大学

今日は、嵐の櫻井君が通っていた慶應義塾大学について紹介します!慶應大学は、地下鉄三田線の慶應口から出て、慶應通りを少し歩いたらつきます。



突然、大きくて立派な建物がドーンと現れて、びっくりします。これは正門です。



正門から入って、東門に行くと、とてもきれいな建物が見えます。慶應大学は、福沢諭吉(ふくざわゆきち)という人が、1858年にそうりつした大学です。福沢諭吉は、日本の一万円にのっている人で、とてもえらい人です。



東門には、二本の万年筆がクロスしたマークがあって、これは慶應の校章(こうしょう)です。どうして万年筆を使うことというと、福沢諭吉が「ペンは剣よりも強し」という意味を伝ったからだと言われています。わたしは、知識は暴力より良いと思いますが、ペンは剣より弱そうだと思いました。



それから、この校章の下には、ラテン語で福沢諭吉が言った「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という、日本人なら誰でも知っているとても有名な言葉が書かれています。この言葉は、人間のみんなは平等で、身分や仕事、お金持ちかどうかなどで差別してはいけないという意味です。



また、慶應大学には三田演説館という、日本最初の演説会堂があります。ここでは、昔福沢諭吉がスピーチをしていたそうです。



大学のキャンパスはどこもとても綺麗で、うらやましかったです。特に、古い図書館は、赤と白の建物で、本当に綺麗です。慶應大学に通っている学生は、幸せだなと思いました。



2015年3月25日水曜日

白い恋人パーク(下)

白い恋人パーク()のブログを続けて、白い恋人パークに何があるか紹介します!カップコレクションの後は、19世紀イギリスのチョコレートの工場です。カカオ豆からチョコレートまでの作り方が小さい人形とビデオで表わされています。この表わす方とてもかわいいで、古い歴史を感じします。嬉しいのは、中国語と英語の紹介もあります!誰でも勉強できてくれることが親切だと思います。


その後、白い恋人工場の見学です。白い恋人のクッキーの作り方や包装など全部見られで、だいたいマシンで作ります。白い恋人のクッキーは一列ずつにならべられて、とても美味しそうだし、面白いです。そして、工場の上の壁に人々が白い恋人を持ている絵があて、この会社で働くことは楽しいそうです。



白い恋人の作り方を勉強してもらうと、白い恋人を自分で作る体験があります!お客さんは白い恋人と同じ材料(生地とチョコレート)を使い、ハート型の白い恋人を作ります。そして、クッキーの上で絵や文字を書けます。とても面白そうです!私は「白い恋人大好き」と書きたいです。





建物の中でレストランとカフェがあて、食べ物は美味しいそうです。白い恋人パークには、庭がとてもきれいだし、見学の間にたくさん知識を勉強できるし、自分でチョコレートも作れるし、とても面白いです!


2015年3月22日日曜日

白い恋人パーク(上)

私はチョコレートがあまり好きじゃないですが、日本の「白い恋人」というチョコレートが大好きです。「白い恋人パーク」もあります!今度はこのついて紹介します。

白い恋人パークの建物は以前イギリス人残した、大きなヨーロッパ式の建物です。誰でも見たら、歴史に帰ると思うだろう。下の写真はパークの入口です。きれいです!この建物のような家に住みたいです!




パークの中に、一番高い建物は時計が入る塔で、一時間に一回時計の下に人や動物が出て、歌ながら踊ります。とてもかわいいです。



建物に入ると、まずオーロラの泉が見られます。これは1870年頃にイギリス人は陶器でできたきれいな噴水池(ふんすいいけ=水がきれいに出てくる池)。



次はチョコレートカップコレクションです。18世紀頃までには、ホットチョコレートをお金持ち達はよく飲みました。その時残したカップはとてもきれいで、精細(せいさい)なデザインが見られます。このカップでホットチョコレートを飲みたいんですが、気が付かないでカップを破ることが怖くて、やっぱり使わないほうがいいです。




白い恋人パークはとても楽しいそうです。たくさんことが書きたいですが、ブログが長くてしまい、後のは次のブログで書きます。その後、チョコレートの作り方や白い恋人の工場など紹介します。


2015年3月17日火曜日

お好み焼きの作り方

春休み最後の日に、ルームメイトと一緒にお好み焼きを初めて作りました。とても成功して、楽しんでした。

材料(二人前):小麦粉(100g)、水(150ml)、ほんだし(小さじ3)、たまご(1個)、キャベツ(1/4個)、ソーセージ(二本)、たまねぎ(半分)、コーン(好きなだけ)、にんじん(好きなだけ)、ウースターソース、マヨネーズ

作り方:

1:キャベツ、ソーセージ、にんじん、たまねぎを切ります。




2:小麦粉、水、ほんだしを大きなボウルに入れて、混ぜ合わします。小麦粉と水をとても混ぜにくいで、20分間ぐらいかかって、大変でした。

3:たまごもいれて、一緒に混ぜます。これはお好み焼きの生地です。


4:キャベツ、ソーセージ、にんじん、たまねぎをフライパンで少し炒めます。ソーセージやたまねぎの色を少し変わるまで炒めます。



5:1の大きなボウルに炒めた野菜とコーンを入れてまぜます。たくさん物が入るから、混ぜることは大変になりました。



6:混ぜた生地をフライパンに入れて、両面の色が黄金色に変わるまで焼きます。餅みたいな物になって、いいにおいがしてきました。



7:お皿にのせて、ソースとマヨネーズを描いたら完成します!



今度はお好み焼きだけ使うソースを買えなかったから、お好み焼きは美味しいとか美味しくないとか、心配しました。食べてみると、このソースはとても似合って、うれしいです。お好み焼きも美味しいです。そして、今回はソーセージを使いましたが、次回豚肉を使て、食べてみようと思いました。

2015年3月15日日曜日

おきなわワールド


数日前、友達に沖縄(おきなわ)は昔、「琉球王国」(りゅうきゅうおうこく)という国で、日本と中国と関係があることを初めて聞きました。私は沖縄が昔から「琉球藩」(りゅうきゅうはん)という所だと思いました。そして、そのついてインターネットで探している時、「おきなはワールド」というパークを見つけました。


おきなはワールドは昔の琉球村や伝統的な工芸品(こうげいひん=手で作る物)など残ってもらいました。村の中で、第二次世界大戦中に受けた砲弾の傷跡が残った建物も見られます。文化を勉強しながら、歴史と平和の大切さも習います。下の写真は旧喜屋武(きゃん)家住宅(じゅうたく=家)。


竹笛や藍染めかばんや陶器など、色々な工芸品がありますが、琉球のガラスは一番興味があります。それは、戦後アメリカ人が持ってコーラの空き瓶を再利用始めました。ガラスを高温で溶かして、様々な作品が作ります。そして、お客さんは作り方を見て、自分で作れます。とても楽しそうです。


おきなわワールドの中で、一番有名な所は玉泉洞(ぎょくせんどう)かもしれません。それは東洋で最も美しい鍾乳洞(しょうにゅうどう)と言われます。30万年前に形成した玉泉洞は全長5000メートルで、日本最も大きい鍾乳洞です。夏の時、玉泉洞の非公開エリアに探検(たんけん)できるそうです。一度でも行きたいです!